強欲

欲は誰でも持っています。
そうでないと生きていません。
生きる意欲、食欲等。

しかし、強欲は、持つこともできますし、
持たないこともできます。

強欲というと、嫌な印象を受けるかもしれません。
そして、それに対する各々のイメージもあると思います。

強欲とは、自分が「まだ」生きていることを
「自分に納得させるもの」です。
「もっと」「自分が生きていること」を確かめることなんです。
そこには、自己価値の低さ、自分は受け取るに値しないと
「気づかないところで」信じています。
もっと、もっと、もっと、もっと・・・・持てば持つほど、
自己価値の低さの埋め合わせが進んでいきます。
(実際には埋め合わせはできないのでさらに、もっとが続きます)

自分のハートを奥底まで冷やしてしまう氷の鎧(信じ込み)。
最初は、この鎧を着用することに対して
嫌な感じがしたことでしょう。
しかし、長年着用し続けると
(その冷たさで)麻痺し、当たり前の存在、
なくてはならない存在になってしまうのです。
一方で、その鎧を着用する前の自分(本質)のままで
今も変わらないと思っているんですが、、、。

一見、人間関係で、お互いを尊重しあう適切な距離感に基づいて
生活しているように思えますが、
実際は、氷の鎧で断絶することにより、
影響を受けない距離感をとっているのです。

鎧の下には、、、もう傷つきたくない・痛みに直面したくないとい
癒しを必要とする人がいるのです。
※麻痺を意識的に選ぶ人はいません。

嫌な氷の鎧を着用することができたのなら、
その鎧を外すことだってできます。
外さなくても、その鎧を溶かすことだってできます。
だって氷だから(笑)

大丈夫!

氷の鎧を溶かすセッション。
それがRASでもあるのです。

ハートと思考、魂のオープンさに比例して
多くのことの物事を現実化できます。

もちろん、望めばですが、、、。

夏が過ぎて、冬が来ると
暖かさを「取り戻そう」として
何かを着込みます。

そんなものなので、みんな大丈夫です。
各々のテーマの中でのうつろいなのです。

ただ、ハートの暖かさ(温かさ)は
何が起ころうが保つことはできます。
保つことができない程の苦しみがあるのならば、
溢れくる暖かさを(温かさ)を「「今」」持ち得ている人が
分けあったらいいだけなんです。

氷の鎧を溶かし合い。
そして内側からの気づきで自らも溶かす。

溶けていったら、一時的な痺れの感覚(皮膚感覚を取り戻すプロセス)と
共に感じることを取り戻せていけます。

「当人にとって」(性質に沿って)正しく感じられたら、
適切にリアクション(レスポンス)できますよん。

鎧(信じ込み)が正しく感じることを邪魔してます(笑)

たとえはテキトーですが(笑)

「3丁目に行きなされ〜!」という情報が入ってきたとします。

鎧(信じ込み)が情報の邪魔をして、

「4丁目に行きなされ〜!」と変換されて伝わります。

その情報に、「どんなに適切に対応しよう」が、
4丁目にしかいけないんです(笑)

「おっかしいなぁ〜!きちんと適切に、行き方まで調べて、、、
途中で人に教えてもらっても、欲しいものにたどり着けないなんて、、、」

適切な方法論を探しまくります。
より自分に「合った」適切な方法はないのか?
そして、自分磨き・努力・努力・努力・努力!
さらに、根性!!!ど根性!!!(笑)

そして周りを見渡します。
あいつは、テキトーにやってるのに、
俺よりもうまくやっている!うまくいっている!
なぜなんだ!納得がいかない!
きっと秘訣があるのかもしれない!(笑)

・・・・聞いてみたが、秘訣なんてないなんて、
嘘だ!絶対に隠している!!(笑)
バレたら、私が彼よりも上手くいってしまうので。

そして、秘訣探して、疲れ果て、
最終的には、運命論(笑)
悲劇のヒロイン・悲劇のヒーロー(笑)

諦めなくてもいいんですよ〜
ちょいとばっかし「自分で」(笑)
ややこしくしてるだけですので(笑)

3丁目は「今」住んでいる場所に「すでに」あったりしますよ〜(笑)

さて、本日もゆたしく〜

潜在意識の書き換えはNG

潜在意識の書き換えはやめていただきたい。
それはあらゆる分野のワークにです。

RASのセッションをしていると
書き換えられたものを外して欲しいと筋肉反射が言ってきます。

最初の頃は、良くわかりませんでした。

何が起こっているのか。

今、抱えている問題には「必ず」根っこがあります。
それを見ずして、今、抱えている問題だけに「手当」しようとして
潜在意識を書き換えるわけです。

例えば、今、経済的状況の困窮の状態にあるとします。
そしたら、相談したいこと!
占い、統計学、チャネリング、、、なんでもいいです。

「この経済的状況をなんとかしたい!」

「それでは、経済的な恵みが入るように書き換えましょう!」と。

悩む必要なんかありませんよ!
時代は軽やかになっていますから!
恵みはみんなに平等に。
宇宙には無限に豊かさがありますと。
ほら、簡単に、、、!

潜在意識を書き換えたら、実現化するのは確かです。

さて?

その問題を引き起こしている根っこは?

どうされました?

根っこから生えてきた現実を「手当」しても
根っこが残っている限り、また生えてきます。

しかも、実現化したものは、必ずひっくり返されます。
見るべきはそこじゃないよ!と。
痛み付きの「実現されたもの」ですから。

見るところは、
感情の痛みだよと。

今の問題に対応する、、、根っこを見ずして、、、。
今の問題に対応しようとしての書き換えに過ぎません。

問題に囚われている
「変わらないままの自分」が、求めた書き換えの内容。

これ、、、対処療法。
痛みに基づく信じ込みを持ったままの自分が望んだ書き換え!
本質(魂)が望んでいることとは違う!

根っこの痛みに気付いて欲しいがために
最初の現象(出来事)が起こります。

その現象(出来事)に手当してなんとかクリアしました。

でも、根っこは残ったままです。

宇宙は、気付いて欲しいがために
同じ根っこから生える「もう少し」大きな出来事をプレゼントします。
小さなノック音で気づかなければ、
もう少し、ノック音(嫌な出来事)を大きくしようと。

そこで、また、根っこ(感情の痛み)を見ずに、身を削って
なんとか、現状の問題に対応できクリアしたとします。

次に来るのは、「絶対的に」対応できない出来事です。

なぜか?

対応できない出来事から目を逸らさせて、
根っこを見て欲しいからです。
気付いて欲しいからです。

自分が抱えている痛みを癒して欲しいからです。

痛みの上に建ったものは、時期をみて
必ず崩壊します。

本質に沿わない遺伝子組み換えが書き換えです。
それと同じです。

現れた現象に手当しているので。

本質と違うことしていますよのメッセージが
自分が好まない現実なのです。

だから、内面を見てください。

書き換えではなく、そこを癒してください。

それだけで、内側の根源からパワーが出てきます。

何にも自分を譲ることはありません。

フォースは書き換え。(今の現状を強制的にどうにかしようと、、、癒さずして)

パワーは、根源からの愛なのです。

みんな自己回復できるんですよ。

そこを信頼しませう。

本当の自分は。。。

本当の自分を生きたら、
社会の指標じゃないところで、ハッピーです。
社会は人が痛みで作ったものだから。
その指標は痛みになりがち。
痛みのエネルギーは、痛みを、、、
社会の仕組みは痛みをどうにかしようとするために、出来てるから

失敗の報酬!?

成功には報酬がありますが、
失敗にも報酬があります。
望む方の報酬が手に入ります。

もし自分を尊重すれば、自分の欲しいものを創り出します。
自分を否定しても、やはり何かを創り出します。
しかし、自己否定から創り出され、達成されるものは、
世間的に羨望されるものであっても、
本人が望んでいないものになります。


ネガティブな意図を否定したら、
ネガティブなものを創り出します。

面白くないですか?

「ネガティブな意図を認めたら、それが起きないってこと!」

そもそも何をもってネガティブかポジティブかは、
全くもって個性(本質)に左右されます。

どんなにポジティブな事柄・言葉でも、本人の性質と合わなければ
その当人にとっては、ネガティブになります。

否定するだけで、否定というエネルギーを注ぎ込んで
それを創り出します。

必要だから存在するってこと!
その存在も許すくらいに愛は包み込んでいるんさ。

そもそも、何らかの対象物があるからこそ、
それをそのまま認めたら反作用が起きないのに、
否定するから、
否定されるように形を持つ(現実化する)だけなのです。

感情もどんな感情でも認めるだけでいいんです。
感情はすべて平等ですから。
怒りが悪いということは一切ありません。
怒りの消化方法が、盲目的に
人に向けられた場合に限り、問題は持ちますが(笑)
怒り=意欲です。
意欲がなければ、怒りは生じません。
こうしたい!こんな結果が欲しかった!
こうして欲しい!の意欲がなければ怒りすら湧きません。

感じたの感情を否定したら、その感情を
きちんと感じてもらえるような
「次なる」出来事を用意してくれるだけなんです。

それが、ストレスになるさぁ〜(笑)

ストレスは、お知らせさぁ〜。

ま、楽しんでいきましょうね〜。

 

神はいないよ!

神はいないんです。
本当に。
一般的に想定するような神がいたら、
すでに何事も解決してます(笑)
いるとしたら、一人ひとりが神です。
神への恐れとは、本当は自分自身への恐れです。
 
 
自分が愛であることへの恐れです。
だから、愛である自分がネガティブな状況にあるはずがないと自己否定します。
そもそも愛の存在でなければ、
そのネガティブな状況は問題にしていませんので。

神を恐れるようにと教える宗教はショッキングです。
それは、自分のありのままを恐れるようにと言っているようなものです。

愛の存在が何かを感じたくて感じたまでのこと。
その感じたい内容はポジネガ関係なし。
感じた内容そのものがあなたではないことを知りませう。

もし、「外側に」いる神が「愛」ならば、その神の愛の表し方は
どう考えても「普通」ではありません。
外側にはいないのです。
それは、これだけの歴史が繰り返しの中で教えてくれています。
こんだけ外側を信じてきたんだもの、、、自分を譲ってまで。
解決して良くね?(笑)
内側にありますよ〜〜〜〜(笑)

みんな横並びで

ランランラン!です!