いろんなセッションでの書き換え

痛みの上に書き換えても

 

時期をみて、

ひっくり返されます。
 

 

ひっくり返される時期が高齢になればなるほど、しんどい。

 

 

肉体時 間で生きているから。

 

※確かに潜在意識を書き換えると、現実は変化していきます。

しかし、その下層部にある感情の痛みが、ちゃぶ台返しのように

書き換え内容をひっくり返します。見る「べき」はそこじゃないよと。

 

 

見るべきは、見たくない根っこ。

 

 

でも、根っこを再体験する必要もないんです。

 

ただ、認めたくないかもしれないけれど、、、

 

経験したかった望まない内容を認めるだけで
いいんです。

今の状況からしかスタートできないんです。
 

今を認めることは、その認めたポイントが足場になるから。

飛び立つための。

集合意識はみんなの責任!?

集合意識にネガティブなものがあったとしましょう。

すんごく抱えているもので苦しんでいる人は、
もしくは次から次へとありえないくらいの苦しい状況をお持ちの方 は、、、
集合意識のネガティブなものをたくさん解放するために背負った人 
誰かが負担しなきゃいけないんだ。

その嫌なこと。

総じて、みんなで負担することには変わりないけど。
役割分担という意味でね。

 
だから、自分を責めなくてもいいんだよ。
よくやってるさぁ〜。
みんな自分の精一杯の性質において
よくやってるんだよ。
個性の違いを通して、よくやってるから比較するのは意味ないよん

いっぱい背負うからいいでもなく悪いでもなく。
出来ることを精一杯やってるだけなんだ。

苦しいままで愛に変換する人も、
楽しさに変えて愛に変換する人も様々。

みんなで集合意識を変えていくんだから。

だって、今起こってることって、集合意識が実現化しただけの話だから。

みんなの責任さ(笑)

誰の責任でもないよ。

じゃあ、まずは自分をどうにかしようよ。

その自分は、集合意識の一部だから。

みんながまず自分をどうにかしたら解決するけどね(笑)
集合意識が全部変わるから。
各自分の集合体だから、集合意識は。

他人を変える難しさにチャレンジしなくてもね。

だって、自分の気持ちは「一瞬で」変えられるものだから。

みんなで協力

 
みんなでゴールしないとあがれないボードゲーム「アチーバス」と
いうものがあります。


助け合いながら「みんなで」ゴールするゲームです。

今、三階建てのバスが熱い!

真夏にクーラーが効いていないバスの中は暑い!

お風呂の温度調整を間違えると熱い!

★みんなまとめて「アチーバス」★

 
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閑話休題

 
 
 
 
 
みんなでみんなの夢(やヘルプ)を叶える仕組みがあったらいいな ぁ。
自分らしさを失わない範囲で、その時できる人が、できるタイミン グ、
できる内容で、その人が応援できる夢を応援する。

応援し合いながら、みんなの夢を「みんなで」叶えてゆく。

 
そうすると、安心感が出てきて欠乏感がなくなります。
必要な時に、必要なタイミングでサポートされ、守られている感覚。
みんながみんなの守護者。
貯め込む必要もありません。
そして何度でもチャレンジできます。

 
これが地球上に広がっていったら面白いなぁ。

 
でも、出来ることのように感じます。

 
みんなで地球を創り上げて行けるようにできているのだから。

 
と、妄想してみました。

 

信じ込みは居場所を創る!?

あの時、こうだったら
あの時、こうしていたら

 
すべては望まない結果、
もしくは感じたくなかった感情からの後づけです。

 
でも、それは起こったことなんだ。

 
 
起こったことも、そのまま認めてみませう。
起こったことを否定したかったら、
その否定したい感情も認めてみませう。
さらに(笑)その否定したい感情も認めたくないなら、
その認めたくない感情をも認めてみませう(笑)(笑)(笑)

 
 
出来事にもエネルギーがあり、
そのエネルギーの存在が許されているから
(存在できる期間は)存在しました。

 
 
起こったことも(あなたがクリエイトしたもの)
ありのままでいたかったのかもしれません。
あなた自身の感情のまっすぐな表現、発露として。

 
 
 
この地球。

 
 
 
 
二元性の中で肉体を通して、
感情を味わいにきました。

 
 
ひとつに統合しに来たわけではありません。

 
 
だって元々ひとつなんですから。

 
 
 
「安全と感じるような」居場所を「認識したい」から
信じ込みもみんな違うのです。
信じ込みに基づいて行動を決めて、
その信じ込みという「区切り」の中を居場所(足場)とするのです 
信じ込みがみんな同じなら、みんな同じ場所に固まってしまう(笑 

 
 
細胞間には細胞壁という区切りがあります。
その視点をもう少し広げますと、(人の認識上)
心臓には心臓という物理的な「区切り」、役割的な「区切り」、
肝臓には肝臓という物理的な「区切り」、役割的な「区切り」があ ります。

 
 
 
この心臓が「自分ではないもの」になろうとすると
おかしなことになります。
僕は、「脳がカッコイイと思うから、脳になりたい!」とか、、、 

 
 
 
心臓さんは、心臓という自分の個性を大事にし、
肝臓さんは、肝臓という自分の個性を大事にし、
自分の個性を「まずは」大事にすることにより
身体全体でうまく調和していけるのです。
そういう意味でも、みんなが大事なの。

 
 
 
元々すべての細胞は、その全体の情報を持っています。
小さなひとつも全体性を持っているんです。
部分でありながら、全体の要素を持っていると言えます。
※クローンは、ひとつの細胞から全体を創り出せるものです。
すなわち、ひとつの細胞の中に全体の情報があるということです。
→クローンの魂の概念は省きます。

 
 
 
 
チューリップさんが
「僕はひまわりになりたい!」と
思い続けることによって、
みんな大好き、時々参加してしまう(笑)
「他人の芝生は青いぜよゲーム」が始まります。

 
 
 
花が咲くまでのプロセスにおいても、
「ひまわりさんのあの茎の感じ、うらやましいなぁ〜」
「僕は、こんなにナヨッとしてるもんなぁ〜」
チューリップさんは、ひまわりさんになるための努力を惜しみませ ん。

 
 
 
 
そして、ひまわりさんの花が咲いたら最大のショックが起きます( 笑)

 
 
「僕、あんなになりたかったのに、僕とぜんぜん違う!」と(笑)
「僕は駄目なんだ!」
※チューリップという違う種の美しい花を
「すでに」咲かせているのにもかかわらず、、、。

 
 
個性において最大限にたのしみませう!

あ〜話が二転三転してしもうた〜。
ま、これも個性として捉えるようにします。

私、皆様の許すという個性で、日々、生かされております(笑)
ありがとうございます。

結んで開いて

「む〜す〜んで、ひらい〜て、手をうってむ〜すんで
 またひらいて、手をうって、その手をうえに〜」

 

 


明け方、ふとこの童謡が出てきました。

 

 

ここから、毎度のことでございますが
私の妄想が始まります(笑)

 

 

人は掴んで、体験し終えたら、手放しての繰り返し。
生まれきた時は、グーで、この世を去るときはパー。

 

 

 

「結んで」は、
人との関係、物事との関係、出来事との関係という風に、
自分を何か(自分が創り出したもの)と「結んで」は、
喜怒哀楽を体験していきます。

 

 

 

「開いて」は、
結んだ関係の中で、体験し終えたものは
手を開いて、手放していく。

 

 

 

 

「手を打って」は、生きながらにして、生まれ変わる。
右手と左手を打ち合わせる。
右手がプラス、左手がマイナス。
その両方を打ち合わせることにより、
プラスとマイナスの統合(フラット)のエネルギーが
瞬間的に生まれます。
再び何かを新鮮な気持ちで経験するためのフラットに戻す行為。

 

リセット。

※神社でやる柏手(かしわで)もそういう意味があるのかもしれませんね。

 

 

 

「その手を上に〜」
そして、経験し終えた「すべてを」最後に大きく手放して、
やりきったぞ〜!と、この世という冒険を終えていきます。

 

 

 

 

これを、、、(笑)

 

 

 

 

 

 

みんなさ、自分で決めたことを感じるために生まれてきたんだぜ!

 

 

時には、それが絶望という場合もあるのさ!

 

 

それでもさ、その絶望って永遠には続かないのさ!

 

 

感じ終えたら、手放せるようになってるのさ!

 

 

だから、自分を諦めなくってもいい!

 

 

人間関係・仕事・様々なことを通して
いろんなことを感じに来たんだぜ!

 

 

 

それも、肉体を持っている間だけの限定さ。

 

 

レアなことさ!

 

 

 

今、苦しくったって、今、楽しくったって
今、どんなに困難な状況にあろうとも、
肉体を持っているとき限定さ!

 

 

思う存分感じきって、泣いて笑って、
苦しみも、楽しさだって手放していこうぜ。

 

 

何度も何度も新鮮な気持ちで味わうことができるのさ!

 

 

気持ちひとつだぜ!

 

 

 

 

肉体を脱ぐ時が訪れるとき、
身体いっぱい開いて
手放して、また、故郷にもどろう!

 

 

 

 

よくやったぜ!

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

今も「すでに」よくやってるぜ!