「失恋蛍」

 

輝く命を追い続け

やっと出逢ったその光

引っ込み思案なその蛍

近づく刻(とき)に
去りゆくその光

ずっと叶わぬ永遠の恋

線香花火がひとつ落つ

命の刻(とき)をひとつだけ打つ

 

人は自分が「否定するもの」を創り出す!?


本当は感じたけれども、感じてない!と「否定する」ことが
信じ込みを創り出すことになるのです。

例えば、「私は愛されていない」と感じたとしましょう。
元々愛の存在であるはずの私が、「愛されていないはずがない!」 
(無意識的に)感じたことを否定したとします。

その否定された感情は内側にしまいこまれます。
そして、そのように「感じたことを認めて」欲しくて
何回も出てきます。

 
愛されていないと「感じさせる出来事」をクリエイトして
同じ感情を内側から引き出そうとします。

 
つまり、「私は愛されていない」と
感じさせる出来事や出会いです。

 
そしてその感情は感じたことを認めてくれるまで、
繰り返し出てきます。

 
私たちは(本人にとって)
ポジティブ・ネガティブ関わらず、感情を感じに来ています。
ただ、その時にそう感じただけなのです。
自ら「傷を創り出している」だけなのです。

感じた感情=「あなたそのもの」ではありません。
そのように捉えがちですが、、、。

うん、そう感じたんだ〜

OK!

ってやれるようになったらいいですね〜〜。

罪悪感

 

 

罪悪感は、ほとんどの方が習慣性(中毒)のものになっています。

 

罪悪感は、無意識的に自分を「私は罪人である」と位置づけているので、
その罪のあがないとして何かを「身を削って」しなければならない!
もしくは、罰せられなけらばならない!とおのずと満たすように動きます。

 

 

たとえ苦しみ等から「自己」回復できるとしても、
回復はさせません。
なぜならば、「罰せられなければならない」ので、
回復することは、更なる罪になるのです。
そうやって、抜け出しにくいスパイラルの中に突入していきます。

 

 

罰へのあがないが終わってはじめて、自分の回復は「許される」のです。
しかし、自分に対する罰は続いていくのです。
どれだけの罰を受けたら「許されるのかが」わからないので。
罪悪感が続く限り、罰は続きます。
罪悪感は罪悪感を更にクリエイトしてしまいますから、
無限の罰となります。
ご本人が、このドラマへの参加をやめない限り。

 

 

自分は罰せられなければならないので、
無意識的に、「自分にとって」罰となるようなことを
創り出してしまいます。

 

 

人によって様々ですが、
「自分が望むものを手に入れない」ことによって罰する方や、
「成功しない」ことによって罰する方や、
「身を削って」人のために何かをすることで罰する方や
「感じたい感情を自分に与えない」ことによって罰する方。。。
※罪悪感が「動機」ならば、
たとえ「どんなに良い」と思われることをしても、
結果は「必ず」罪悪感で終わります。

 

 

罪悪感は、本当は役立つツールなのです。
罪悪感は、「あなたは今、あなたの個性と違うことをしていますよ〜」
と教えてくれます。
罪悪感を感じたら、
そう感じないように、軌道修正すれば良いです。

 


問題となるのは、
「自分の個性を無視して」
相手の期待(時には相手の期待を自分勝手に創り出してさえも)、
社会の要求、道理に応えようとして
「応えられなかった時に感じる」罪悪感です。

 

つまり、「個性に基づかない」罪悪感です。
「無実の」罪悪感で苦しんでいるのです。

 

 

罪悪感を終わらせる入口は、
自分の個性と違うことをしていることを
まずは「認める」ことからです。

 

 

罪悪感は、自分以外は
誰もそれを取り去ってくれません。

 

 

 

誰かが許してくれたら、罪悪感はなくなるのでしょうか?

 

 

なくなりません。

 

 

なぜならば、自分のこころの中で起こっていることだからです。

 

 

心理学等もこの罪悪感から
たくさんのお金を稼ぎ出しました。

 

 

 

しかし、、、、たくさんの解決!?の結果が「今」なんです。

 

 

とにかく「今の状態」をそのまま認めること。
そのまま認めたくなければ、そのまま認められないと認めること。
なんでそんなことしなきゃいけないのかと感じたら、
そう感じたと認めること。

 

 

人は信じたこともクリエイトするし、
「否定したこと」もクリエイトするんです。

 

 

 

なぜ?

 

 

 

否定した対象(事柄)は、認められたくて
現実化しますから(笑)

 

 

 

自己主張してきます(笑)
否定すればするほど、さらに激しく自己主張(笑)

 

 

 

ネガティブが存在するのは、ネガティブも存在していいから。
存在が許されているから存在するのです。

 

 

愛が存在を許しているから、存在しています。
それを私たちがどうこうできるはずがありましぇ〜〜ん(笑)

 

 

 

だから、私も存在しています!
あれ!?話がずれた(笑)

 

 

 

確かに嫌なもんは嫌なんですが、
それすらも感じる体験をしに来ていますからねぇ〜。

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

 

「認める」の連鎖で玉ねぎの皮のように丁寧に剥いていきましょうね〜。

 


ふか〜いところの自己肯定に、いつか必ず「実感として」出会えます。

 


「自己肯定(という大前提)があるからこそ」、自己否定できるんですから。
→ここ重要です(笑)

 

 

だから、RASセッションは、「本人で」気づいて、
元に戻るだけ〜のシンプルセッション。

 

 

余計なことはしません。

潜在意識の書き換えもしません。 

 

その人のパワーを超えるパワー、
強さを超える強さを深く信頼しているからです〜。

認めること



気合は、自分の本来の気(個性)と合わせるという意味。



「おっしゃ〜!やったるで!」もいいですけど、





自分の個性と「ズレてるから」頑張らなきゃいけなくなるんです。




そのズレを体験しに来てもいるんですが。。。



よし、飽きた(笑)





話を変えよ〜っと。








閑話休題(笑)




えっとね。





すんごく簡単にいうと




身の回りに起こることを、
認める「だけ」で解決していくんです。




う〜ん、解決とはちと違うな、、、。



消化されていくんです。



「今まで否定してきたもの」が、
「今」自分の身の回りを覆ってるもの(出来事・状況)の正体です 




否定したものを「認め直して」いく。
→ここがRASの根っこ。




愛は、無限で全てだから、そうでないものを感じるためには、
そこを一旦否定しないと(あくまでも一旦です)
他を感じられへんねん。




でも、感じきったら、もう感じるの、、、大体の人は嫌やねん。
(そうでないご趣味の人は除く)




また、話がそれました。




否定してきたものを、あなたが「すでに」「元々」持っている
愛でヨシヨシしてあげてくださいね。
表現がちと、、、違うな、、、。



「どう否定しようと愛のそのものである」あなたが、ヨシヨシして あげてくださいね。



認められたと思ったら、「ありがとう〜!」と元々一体であった愛 の中に溶けていってくれます。



愛で溶かせないものはないから。



甘いアイスクリームの中に溶けていくように。




もう、、、アイ(I)スクリーム(scream)を望まないあな たへ!?

※スクリーム(scream)=(恐怖・苦痛などのために)叫び 声をあげる







あ〜あ、また外しちまったぜ!(笑)笑)





もし私が都会に住むとしたら、きっとそこは
はずしまくりシティ(都市)さ!(笑)(笑)(笑)










え!?ギャグのはずしまくり?












信じ込みの外しまくりですよ(笑)














信じ込みってこわいねぇ〜(笑)(笑)

「きづな」







瞳に映る私の笑顔







私が本当に見たかった私の笑顔






私の笑顔はもういない






あなたがくれた私の笑顔








その(瞳の)深遠に哀しみも苦しみもすべて吸い込んでくれた








あなたが存(い)ずとも取り戻せたよ










ほんとのほんとの私の笑顔








もういやだ〜、、、、、でも、さようなら







ほんとにやだよ〜、、、、、でも、さようなら

















さようなら


























さようなら



















二度と開かぬあなたの瞼














柔らかにしっかりと結ぶその真一文字(まいちもんじ)
















哀しみが再びあなたの元へと逃げださないように

















そっと風がつぶやきました



















そっと私も微笑みました