個人が現実化させるものと集合意識が現実化させるもの

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自分を愛すること、
もしくは、自分に取り組むことは、
個人レベルでの出来事を変容させるだけではなく、
個人レベルでの変容が、集合意識への大河の一滴となり、
集合意識を変容させていく力を持っています。
みんなつながっていますから。



個人の信じ込みは、個人の出来事を創り出すと同時に、
集合意識にも、自分の信じ込みの一滴を投じて影響を与えています。
そして、その集合意識が大きな流れとして
実現化していくのです。

自分を変えることが出来るのは自分だけ。
自分を愛すると、それは同時に、人を愛していることになります。

ですから、徹底的に自分にフォーカスしていいんですよ〜。
それは、わがままではありませんから。

RASは個人レベルでの変容もそうですが、
その先(集合意識)も見ています。

ひとつの信じ込みが外れるごとに集合意識への一滴を意識しています。

個人の信じ込みは、個人の出来事を創り出しますし、
その個人の信じ込みの集合体である集合意識も
個人レベルを超えた出来事を創り出します。

みんなで大きな1枚の絵を完成させてるんだ〜。

 

 

個性を売り出す

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例えば、あなたがマッサージのプロだとしましょう。

Aの構図であれば、あなたは多数のマッサージをする方の
一人に過ぎません。この中で、生き抜いていくとしたら、
ひょっとしたら、価格競争・技術競争・サービス競争
立地条件競争・流行り廃り競争に、巻き込まれるかもしれません。

それに、大多数のマッサージ人の中から、お客様に
「あなた」を見つけて選んでもらわなければなりません。

つまり、「多数のマッサージ人の中の一人」という個性です。

これが、Bの構図ならどうでしょう。

「あなた」という人間は、どうあがいてもこの世の中で
一人です。
世界中でオンリーワンです。

そう!

このオンリーワンである「あなた」を
売り出していけばいいのです。

競争相手ゼロ!(笑)

一人しかいないのですから。

その自分を「売り出す」ことを
あきらめさえしなければ、売れていきます。

ただ、ポイントは、そのままの自分を出す勇気があるかないか。
自分ではない魅力的っ「ぽい」自分を演じたら、
オンリーワンの魅力が封じられますから(笑)

お客様は、オンリーワンの「あなた」目がけてやってきます。
「あなた」がやっているマッサージを受けたい。
「あなた」のタロットを受けたい。
「あなた」の書道教室に入りたい。
「あなた」の腹芸を見たい!

ちょいと語弊がありますが、
あなたの腹芸がへたっぴだったとしても、
お客様は来てくれます。
「あなた」の魅力にひきつけられるのですから。

じゃあ、マッサージ・タロット・書道教室・腹芸が全く流行らなくなってお客様が来なくなったとします。

「あなた」が、新しく何か始めたら
また、そこにお客様は来ます。

「あなた」がやることにひきつけられますから。

しくじっても、「あなた」がやったことだから
ま、い〜やと許してくれさえもします(笑)
※お客様の慈愛を引き出すことにもなるかも(笑)
もちろん、ワザとやっちゃダメです(笑)

つまり「大多数の中の一人」で売り出していくか、
オンリーワンの「あなた自身」を売り出していくかなのです。

失敗しながらも(それが許されながらも)
人間らしくやれていく仕事のあり方に近づくかもですね。

「人」対「提供される没個性の技術」になったとき、
ミスを許さずキ〜ッとなっちゃう場合もありますからねぇ〜。

これはね、、、深いところで申しますと、、、。

何か「価値があること」を提供すれば、愛される。
何か「価値があること」を提供しないならば、愛されない。
これが、大多数の中の一人になっている場合。
私を多数の人の中から「選んでもらう(愛される)」ため
には、、、たくさん努力しなければ!!!!!。

何もやらなくても「オンリーワンの価値」は変わらないんです。
まずは、自分で自分を選ぶんです(愛するんです)
自分であることを選ぶ(許す)んです。

「内側の状態」が外側の現実となって現れます。

「あなた」があなたを選んだ(愛した)状態(内側の状態)が
お客様があなたを選んで来る状態(外側の現実)を創り出します。

そ〜んな面白いことが起きるかもで〜す。

 
 

 

 

復讐

RASのインストラクター養成講座のカリキュラムの中に
「復讐の解放」というものがあります。

人は、時には自分の力を「誰か」・もしくは「何か」に
明け渡(依存)したりします。
たとえば、今抱えている問題は自分には
解決できる力がないと信じ込んでいて、
その問題の解決を全面的に他に委ねた場合です。

しかし、「自分の宿題は自分でやること」になっています。
しばらくの後、解決を委ねたはずの問題が、
解決していないことに気づきます。

そこで、自分の力を明け渡(依存)していた先に、
(無意識レベルで)復讐を始める場合があるのです。

例えば、明け渡し(依存)先が「親」だった場合。

この無意識レベルでの復讐方法がし・ん・ど・い方法でして、、、、。

自分が「ダメになること」により、
親に復讐するということをやります。

自分がダメになっていく姿を、親に見せることにより、
親を苦しめて復讐を遂げていくのです。
復讐しながらも、本人が一番苦しんでいます。

(あんたのせいで!あんたのせいで!あんたのせいで!あんたのせいで!)

いろいろな選択肢を十分にとれるのに、
そうせずに自分を痛めつける方向に動いていくのです。

しかし、結局は、痛めつけた結果含め、
自分で回復させていくしかないのですが、、、、。

・一人ひとりにパワーの源泉があること。
・力を明け渡す必要はないということ。

ストレス度が高く、視野が狭くなっており、
訳が分からない状態から脱出するお手伝いを
RASではさせて頂いています。

天使のやつ!サイテー!?

ひとつの事柄には、
陰陽両側面があります。

そこを味わいにきていますので
片方がなくなることはないです。

 
片方が片方の足場になって
支えあっています。

 
 
良いも悪いもなくて、
自分の感性でどのように
良いか悪いか、
もしくはその他の感情含め、感じるという味わい。

 
悪魔にとって、天使はいやな方々だし(笑)
天使にとって、悪魔はいやな方々だし(笑)

 
その両側面を包み込んで、
両方が存在できている状態そのものが愛。

 
 
ジャッジは誰でもしてるものだし。
ジャッジも良い悪いはなくて。
この食べ物おいしい!おいしくない!もジャッジだし(笑)
この服、センスいい!センス悪い!もそうだし。

 
 
言葉を遣うこともジャッジだし。
数ある言葉の中から、状況・場面・感情を
ジャッジしながら切り取り、
全体性の中の一部を、個性に基づく感性の中で、
限りある表現の中でしていくものだから。

 
視点を変えてみます。
ピアノの鍵盤も、音を切り取っています。
各鍵盤で「ド」を切り取ったり。「ファ」を切り取ったり。
ピアノの製作者によっても、その「ド」は変わるものだし、
調律者によっても、変わるものだし、
そのピアノ演奏者の想いによっても、
その「ド」は変わるものだし、
演奏を聴く側の心境によっても変わるものだし。

 
個性に基づく感性があるからジャッジが生じます。
それはよかとよ。

 
単に好み(個性)の違い(笑)

 
なんでんよかとよ!

 
 
ただ、その感性へ共感してくれる
仲間探しを始めると、押し付けになる
可能性があります。
ま、押し付けられた感性というものが、
どのようなものかも、味わいにきてるんですが。。。

 
シンプルに、自分が味わうと決めたことを、
味わいにきてるだけ。

 
信じ込みも必要なもの。

 
 
たとえば、、、
「私は愛されていない」
という信じ込み(基準・足場)があるからこそ、
それを通して、世の中を、もしくは、自分を
(一時的に)切り取って(視野をそこに向けて)
「愛されていない状態」を味わえるのです。

ん、ただ、味わいきったら、
いつでも手放せるから大丈夫で〜す。

そして、その手放し方やプロセスもみ〜んな違いますので
周り見渡して、不安にならなくても大丈夫で〜す。

 
 
 
何を根拠に大丈夫ですかって?

 
 
 
うん!

 
 
はい!

 
 
 
根拠はありませ〜ん(笑)

そういう設定で切り取って生きてま〜す(笑)

真実は自分だけのもの!

真実(個性)は自分だけが持っていれば良いんです。

自分の真実(個性)がどう見られているかは、
考えなくてもいいんです。

そして、自分の真実(個性)のために、
周囲、もしくは何かと闘わなくていいのです。

自分の真実(個性)は、自分だけのもの。

他人の真実(個性)は、その他人だけのもの。

ひとつとして同じものはありません。
個性同士は、争うという同じ土俵には
そもそも乗っておりませぬ(笑)
誰かの個性の土俵に乗ろうとした時に(笑)
コトは起こります。

真実(個性)を分かってもらえなかったら?
そこに何の問題が生じるのでしょうか?

そして、分かってもらうために、
どれだけの貴重なあなたの時間を割きますか?

でも、、、だって、、、分かってくれなきゃいややん?

はい!いやでもいいんですよ〜。

ただ、分かってくれないと、
一体どんなに恐ろしいことが起こるというのでしょうか?

他の人の何らかの承認がないと、
存在を認められない感じですか?
でも、現に今、あなたは存在しています。

存在していること自体が、
「すでに」承認されていることを示しています。

分かってもらえなくても、あなたはあなた。
あなたの真実(個性)は、
どうあがいても当然にあります。

自分の真実(個性)を表現していくことは、
(周囲に承認を求める行為ではなく)
自分「だけ」を対象にした一番のぜいたくなのですから。

自分を堂々と生きていいんですよん。

今現に生きているという(承認されているという)真実は、
だ〜れ〜にも否定できませんから。

たとえ神でさえもね〜。

※あ、当方無宗教です。表現上で〜す。