相手の自由は、私の自由!?

 

 

 

相手の自由をどれだけ許せるか。

 

 

 

 

 

 

相手の自由は、本来、
『あなたの許可を必要としないもの』

 

 

 

 

許可。

 

 

 

 

 

 

相手の『可』能性が顔を出すことを『許』すということ。

 

 

 

 

 

 

 

自分の自由の可能性を許さない範囲で、
相手の自由の可能性を許さないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまりは、相手を許す度合いは、
自分の自由の可能性を、
どれだけ許しているかという度合いの一指標。

 

 

 

 

 

 

 

それは、自分から自分への愛の一指標。

 

 

 

 

 

 

 

『自分という存在がいる』

 

 

 

 

 

 

 

ただそれだけで、本当は自由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

その『自』分の『由』を(実感として)知るために、
さまざまな事を体験しているのですから。

 

 

降参だ!

すべては、自分を愛することに
抵抗することから、
始まります(笑)

 

 

自分を愛さないことに
降参したらいいのら(笑)

 

 

 

にゃははは。

 

 

にゃーん!(笑)

 

 

信じ込みは映画の上映!?

信じ込みは、映画のフィルムと同じ。

信じ込みは、魂(本質)の周りにくっつきます(笑)

魂から出る内側からの光で、そのフィルム(信じ込み)の内容が
 
 

 


スクリーンに映し出されます(現実として実現化します)

 

 

 

 

本当は、その映画を観て、出てきた感情を
「感情移入しながらも」味わうだけでいいのですが、
その映画が終わっても、感情移入から抜け出せない状態が、
苦しい状態を生み出します。

 

 

 

これが信じ込みに囚われている状態。

 

 

 

映画のフィルムを「自分で」巻き戻して終わらせていない状態。
何回も上映されます(笑)

 

 

 

 

もう飽きてしまって観たくないなら、
どうしますか?
※映画館という名の肉体から退出しないことを前提とします(笑)

 

 

 

 

そのフィルム(信じ込み)外したらいいんです。

 

 

 

RASは、その部分をサポートさせていただいております。

 

 

 

スクリーンに映し出された現実は、
どうこうできないんです(笑)

 

 

 

 

あくまでも、結果ですから。

 

 

 

 

根っこは?

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

フィルム(信じ込み)です。

 

 

 

 

 

そこをシンプルに外すだけ。

 

 

 

 

 

そしたら、魂(本質・個性)がむき出しになります。

 

 

そして、次の上映は、

魂(本質・個性)の物語となっていくのです。

 

 

 

 

簡単に言います(笑)

 

 

 

ネガティブなことを日常の中で
「すでに」実現化できているということは(笑)
その逆もできるということなのです。

 

 

 

 

だけんが、諦めんちゃよか!

 

 

 

 

シンプルに信じ込みば外せばよかとよ。

 

 

 

 

前の映画の悪役にての出演者も許すことができます。
なぜなら、あなたのそのフィルムを外すことを
応援してくれた愛の人々だから。
どんなに苦しい嫌な悪役でも引き受けてくれた優しい人たちだから。

 

 

 

 

そして、自分の個性に沿うようなフィルム(信じ込み)ば
創って「貸切の」映画館で楽しみなっせ!

 

 

 

何かをしようとしなくても・・・・・・

 
 
本質(魂)には元々そうなる個性というベクトルがあるから、
特に何かをしようとしなくても、
「結果として」現実は自分の個性に沿うようになる。
もしくは、沿うように、(無意識に)行動する。

 
 
 
 
ですから、例えば、引き寄せとか意識しなくても(笑)
な〜〜〜んにもしなくても、引き寄せは当たり前のように
起こっていることですから。

 
 
 
 
さて、
本質が望まない信じこみを体験後、
手放さずにいると、
顕在意識で他人や社会の期待に応えようと
自分(の個性)じゃない者になろうとするから、
ネジレが生じておかしな結果(望まない現実)を
生み出して悩む!ということに。

 
 
 
 
体験したかった分野を創り出してくれる
「信じこみという色眼鏡」を通しての感情の味わいを終えたら、
手放せます。

 
 
 
 
 
えっ???

 
 
 
 
 
 
嫌な感情を体験したいと思うわけがない!

 
 
 
 
 
そう、誰でもそうです(笑)
嫌な感情は嫌です(笑)
どMさん以外は(笑)

 
 
 
 
 
 
 
冗談はさておき、
嫌な感情を体験することにより、
今まで気づかなかったことに気づき、
当たり前となっていたことの有り難みが増して
幸せ感が出てきたり、思いやりを持てるようになったり。

 
 
 
 
 
ただ、感じた嫌な感情そのものが、
イコール自分だと信じこんじゃうとそこに囚われ、

 
 
 
 
周りと「比較して」

 
 
 
「自分はダメだ!」

 
 
 
「どうにかしなきゃ!」

 
 
 
「あーでもない、こーでもない」

 
 
 
 
と、葛藤に入ってしまいます。

 
 
 
 
感じた感情イコールあなた「そのもの」ではなく、
あなたは、その感情を経験したくて、
感じただけなんだ。

 
 
 
 
嫌な感情=自分=私はだめだ!とジャッジしなくていいですよん。

 
 
 
 
 
さてさて、本日はどんな感情を味わいに旅に出ましょうかねぇ〜(笑)

自分の荷物

 

自分の荷物は、自分の肩に降ろそう。
自分の荷物を相手の肩に
降ろしていないか(笑)

 

 

 

気づいたら、自分で背負おう。

 

 

 

 

その荷物(自己愛)は、
自分を『真』から愛するために
必要なものだから。