人は印(しるし)を探して生きているかもしれないね

 

 

居場所という印

 

 

 

感情の発端となる足場となる印

 

 

 

 

その印が自分が生きているという証(実感)になる

 

 

 

 

眼に見えぬ存在の自己肯定

 

 

 

 

他者肯定を幻として追い求めながら……

写真を変えました

.松坂写真bmp.jpg

 

 写真を直近のものに変えました。

 

みんな何かしらの信じ込みで物事を判断しがちです。

 

みんな何かしらの信じ込みで人をも判断しがちです。
その人の中に「自分がみたいもの」を見る。
ただし、その情報の中にはある意味では
確かなものもあるかもしれませんが、
その人のほんの一部の情報でしかありません。

 

あなたが見るものは、
自分を見ているのと同じなのです。

あなたが見たいものを、他者を鏡として
見ているのですから。

 

インターネットの世界と同じです。
例えば、「メガネ」をパソコンで検索したら、
メガネとそれに付随する情報が出てきます。

 


あなたは、メガネを見たいがために、
視野をメガネに「設定」しました。

 


しかし、「筆箱」を調べたいのに、
「メガネ」を検索したらどうでしょう?
「筆箱」を調べることに失敗して
やっぱり自分は何をやっても駄目だと
落ち込んだりします。

 

そして、きっと、絶対、他に方法があるはずだと、
検索する時間・タイミングを変えてみたり、
検索する場所を自宅ではなく、ネットカフェに変えてみたり、
検索する姿勢を、あぐらでなく、体育座りでもなく、
正座に変えてみたり、はたまた、蓮華座に変えたりもして、、、。
「筆箱」の情報を求めて「メガネ」を検索し続けます。
それでしまいには疲れちゃいます(笑)

 

信じ込み自体は悪くはありません。

 

ただ、自分が望む方向に行くために、
必要のない、もしくは、適切ではない
信じ込みは必要ないかもしれませんね。

 

龍っぽい

竜.JPG

 

こんな雲が出ていました。