8月26日、祖母が他界しました。

人は、生きてきた年数で人生を計ろうとしがちです。
何歳で他界したから大往生!ではないのです。
長生きがいいことだ、長生きしようという
考え方が根底にある様な気がします。
祖母が亡くなって気づいたことがありました。
人生は、長さではない、これは、直感ではそう思っていましたが、
実感はありませんでした。
語弊はありますが、幼くして亡くなろうが、高齢で亡くなろうが同じだと。
その実感を、教えてくれた祖母には感謝致します。
命は命。長さは関係ない。

齢92歳で、亡くなりました。
前日の晩に咳が出始めて、入院した翌日の朝に
他界しました。
嘘のような話ですが、前日に私は咳が出始めて
風邪かな?喘息かな?と思っていました。
しかし、翌日の朝7時過ぎに咳が止まって
あぁ、楽になった少し休めそうかなと
思った瞬間に部屋の電話がなり、祖母が7時40分に他界したと
連絡が入りました。
連絡が中々つかない自分が一度の電話で着信したこと
自体が母にとって不思議なことのようでした。


亡くなる前まで92歳とは思えない食欲と体力でした。
しかし、記憶はまだらでした。
その原因が、脳内出血を起こし倒れたこと、
もちろん高齢での特有なものはあったかもしれません。
それからは、いつもニコニコ。
周りを和ませるような行動で朗らかにしてくれていたように
思えます。
私は、たまにしか実家に帰ることはなかったのですが、
必ず、記憶を戻してくれました。
そして、オムツを持っての保育園への送り迎えも思い出してくれました。

幼少の頃、私の両親は共働きで、祖母が日中面倒を見てくれました。
朝起きたら両親がおらず、寝るときも両親がいない状況で、
親代わりを随分として頂きました。
私は、病気がちで随分心配もかけました。

祖母は、晩年介護が必要になったことで、
周囲に触れ合いの大切さを教えてくれたような気がします。。

死ぬことは、単に形を変えること。
亡くなった悲しみはありませんでした。
ただ、そこには、ありがとうございました!という感謝と
思い出に対する懐かしさへの感動が残りました。

おばあちゃん、ありがとう!
今生からのご卒業おめでとうございました!
ご縁があれば、またお会いしましょう!

 

保育園

身を削って〜するは美徳?

 

身を削って人の為に、何かをする」という表現があります。

また、そのことを素晴らしいと思う観念を持つ日本人が
多いような気もします。
「人の為に」という言葉がありますが、
究極的な表現をすれば、「人の為に」はありません。
すべて「自分の為に」人は行動するのです。


すべてです!

 

例えば、
「人の笑顔を見たいから〜しました」
これさえも自分の何かを満たす為です。
笑顔を見ることにより、自分の何かを満たすのです。
その笑顔で自分自身を癒すためかもしれませんし、
笑顔になれない自分の代用として、
人の笑顔をプロデュースしているのかもしれません。

 

そこにあたかも「人の為に行動しているような理由」を付けがちです。
自分を満たしてあげることに罪悪感があるのかもしれません。
だからこそ、皆に認められる大義名分的な理由が必要なのでしょう。
また、身を削ることにより、自分を罰しているのかもしれません。
深いところでのこころの痛みを隠しながら、、、。
身を削り続けると、結局は、良いと思ったことも
やる続けることができなくなります。
まずは、正々堂々と自分を満たしてあげること。
そして、それをやってもいいんだよ!と自己の存在価値を認めながら、
自分を許してあげること。
自分を満たした後、余ったエネルギーを人様にお分けすること。
そういう感覚で良いと思います。
自分を満たすと、余る位のエネルギーが手に入るように
なっています。
そこからが、スタートです。
その余ったエネルギーをさらに自分のエネルギーとして
使用するか、おすそ分けするか。
ここが成熟への分岐点になるような気がします。

また、自分を満たすことは、個性を満たすというところとも
深く繋がっています。
個性を生きずに譲り合いながら、争いごとを避ける。
確かに、表向きは平和で争いのない社会に見えます。
しかし、こころの中には葛藤という争いがうごめいています。
こころの中の争いは、すでに表面に出ています。
日本では、年間3万人以上の自殺者が出ています。
戦争レベルの死者の数です。
これが、本当の平和でしょうか?
自分を大事にしてこそ、周囲を大事にできます。
自分がありのままに生きていないと、
周囲をありのままに見ずに、変化させようとしがちです。
しかも、人は人を変えられません。
そこに、歪みやねじれが生じます。

 

あなたが、生まれてきた理由。
自分を満たしてあげる為。
それが、あなたの生まれてきた目的であり理由ですから。

仕事はツール

 

仕事は、人間関係を学ぶための一つのツールに過ぎません。

 

前にこのように記載したことがあります。
もう少し詳しく書こうと思います。

 

時代が変われば、仕事の内容・やり方は変わります。
例えば、移動手段が、人力車から自動車へ、農作業が、機械化。
コンピューターなしでは、生活できなくなった等。
しかし、人間関係のテーマは、
仕事がどんなに変化しようと時代を超えて変わりません。
嫉妬があり、嫁姑があり、人を蹴落とす行為がある等。

 

つまり、この変わらないものの中にこそ、
学ぶテーマがあるのです。

ですから、仕事の成果を出すことに対して、
人間関係という優先順位を見逃してしまうと、
お互いに良い結果を生みません。

 

人間関係を学ぶための社会の枠組みの一つが
仕事です。

 

人間関係を学ぶための道具として存在する仕事。
もちろん、人間関係を学びながら
仕事で成果を得られたら良いでしょう。

 

しかし、皆仲良くありのままを尊重しながら
生きていくという目的を忘れ、仕事に振り回されることは
本来の趣旨ではないということをこころに留めておきたいものです。

 

勝手に思うことですが、自分のありのままを生き、
相手のありのままをこころから尊重できるようになれば、
自然も壊さない仕事が生まれるような気がします。
地球のあるがままを尊重するのですから。

ありのままを生きるためのメッセンジャー

 

ありのままの個性を生きていないとシグナルがきます。
それは、出来事であったり、出来事に付随するストレスであったり、
大きなテーマとしては、子供からメッセージがきます。
それらに気づけるか?が大きな分岐点になります。

例えば、お子様で障害をお持ちの方が生まれたとします。
(障害という言葉は好きではありません。便宜上、使用します)
この子は、物凄くあり難いメッセンジャーなのです。
親に大切なことを教えるための。

それは、

 

「ありのままでいいんだよ!」

「ありのままこそが大切なんだよ!」

「あなたは、人・社会を無理に変えようとしていないかい?」

 

というメッセージです。

当の親自身が、かなり深い部分で、社会の期待や親の期待を
背負ってありのままを生きていなかったり、
それを手放していなかったりします。
また、ありのままを生きていなかったら、
おかしい事に、人にありのままを生きないように
一方的に目標を良かれと思って作り、
コントロールや強制をしてしまいます。

「おまえのためだ!」
「人・社会のためだから!」

「世の中を変えるためだから!」と。

究極的には、人は100%自分のためにしか行動しません
自分の中の何かを満たすために、、、。

 

人は生きていく上で、いろいろな社会で
様々な人と接します。
特に、社会的な権力を持つ人、上司等が気をつけないといけないことは、
その人の個性にとってありのままか?を考慮しないといけません。

人により、感性、成長の速度、向き不向き等違います。
自然な身体の成長の速度は人それぞれ違います。
それに対して、何歳までに、身長何cmになれ!と命令しても無意味です。

 

人として対等に行動しているかどうか?
役割として上司等の機能を果たしているだけ!ということに、
気づかないといけません。
個性は横並びで、年齢経験関係なしに平等です。


本当は目標なんてどうでもいいんです。


みんなが個性を発揮したら、気づいたら目標に辿り着くようになっています。
思いさえ共有できたら。あとは、お任せすればいいんです。
ありのままであることには、無理は一切生じないのですから。
無理が生じているとすれば、個性を潰している証明になります。
また、個性を無視した強制の「偽ワクワク」も続きません。

 

総じて、障害をお持ちのお子様も、出来事も、ストレスも、
ありのままの重要性を教えてくれるメッセンジャーであり、
先生なのです。
この子は、何を気づいて欲しいんだろう?
この出来事、ストレスは、何に気づけ!といっているんだろう?
という視点を持ちたいものです。

個性とルール

 

 宇宙は、ポジティブなことからネガティブなことまで、
すべてを包含できる自由さを持ちます。
そもそも、ポジティブやネガティブはなく、
ありのままが存在しているだけです。
私たちの地球は、宇宙の縮図です。
本来は、ありのままに存在するだけでよいのです
しかし、ありのままの個性は、ユニークかつ自由過ぎるがゆえに、
一定のルールが必要です。それが、思いやりです。
火と水は、それぞれユニークですが、
近づきすぎると、相手の存在を奪ってしまいます。
そこには、適切な距離感を保つという思いやりも必要でしょう。
しかし、現在の社会は、相手のありのままを
尊重しない法律というルールで支配しています。
また、それには、社会の期待・親の期待・地方の慣習という
ルールも含みます。

優先順位は、ありのままの個性の尊重が第一であり、
お互いがありのままの個性を尊重しながら生きられるような
思いやりというルールが必要です。

ルールが先にありき!だと、争いごとが起きないように!が
主たる目的になり、個性は無視されます。
何のためのルールか?本末転倒です。


そもそも、個性を抑圧するから、争いごとが起こるのですから。


個性を最大限に尊重しあえば、
新たなものを協力し合いながら生み出せます。
「火」と「水」の場合であれば、
「お湯」という新たなものを生み出すように。

 

個性を生きていたら、こころが満たされて満足し、
他を無理に変えようとか、コントロールしようということに
関心が薄れていきます。

 

まずは、自分の個性を取り戻し、生きていくことです。